岩手の発酵文化|遠野の「どべっこ」は、人が集まる冬をつくる
——米と麹が育てる白い酒。その一杯から、食と昔話と暮らしがつながる
冬の遠野を思い浮かべる。
山に囲まれた里。茅葺きの屋根。その内側に、人が集まる場所がある。
器に注がれた酒は、白く濁っている。
遠野では、どぶろくを「どべっこ」とも呼ぶ。米、米麹、水を使って発酵させ、醪(もろみ)をこさずに仕上げるお酒だ。遠野時間|遠野市観光情報サイト
透明な酒とは違い、米の存在が目に残る。
その白さを眺めていると、飲み物になる前には、田んぼで育っていたものなのだと気づかされる。
岩手の発酵文化をたどる今回は、遠野のどべっこを入り口にしたい。
一杯の味とともに、それを囲んで人が過ごす時間にも、この土地を知る手がかりがある。
米が、食べ物から飲み物へ変わる
茶碗に盛られた米と、器に注がれたどぶろく。
同じ米を出発点にしながら、口に入れたときの姿は大きく違う。その変化をつくるのが、麹や酵母の働きを生かす醸造だ。
遠野市観光情報サイトは、どぶろくについて、米、米麹、水を発酵させ、醪をこさずにつくる酒と説明している。遠野にも、古くからどぶろくの文化が根づいてきたという。遠野時間|遠野市観光情報サイト
米を炊いて食べるだけなら、その日の食卓に届く。
酒へと育てるには、仕込み、その後の変化を見守る時間が必要になる。
発酵文化を見つめることは、材料の豊かさだけでなく、その材料にどのような仕事と時間を重ねてきたのかを知ることでもある。
遠野の一杯の背後にも、米を育てる仕事と、酒を醸す仕事がつながっている。
曲り家の中で、味わう意味
遠野には、「南部曲り家」と呼ばれる建物が残っている。
母屋と馬屋が一体になった、L字形の農家住宅だ。遠野市の観光案内でも、人と馬がともに暮らした建物として紹介されている。遠野時間|遠野市観光情報サイト
家の形から、その土地の暮らし方が見えてくる。
人がどこで眠り、どこで働き、何を身近に置いて生きていたのか。建物は、生活の関係を空間として残している。
「遠野ふるさと村」では、南部曲り家を移築・保存し、昔の農村の風景を伝えている。また、地域の文化や伝統を守る「まぶりっと」が、農村体験の案内役を務めている。いわての旅
こうした場所で土地の食べ物に出会うと、味の背景を想像する手がかりが増える。
柱の太さ、屋根の高さ、外から入る光。
食べる場所そのものが、料理や酒を理解するための一部になるのだ。
一杯の隣に、昔話と神楽がある
遠野の冬には、「どべっこ祭り」がある。
遠野ふるさと村の南部曲り家を会場に、どぶろくと郷土料理を味わい、語り部の昔話や郷土芸能の神楽を楽しむ催しだ。主催側の案内では、祭りのために造り酒屋が特別に仕込む酒を「どべっこ」と紹介している。遠野時間|遠野市観光情報サイト
ここでは、食べ物、酒、建物、語り、芸能が、同じ時間の中にある。
それぞれを別々に見ることもできる。
酒の味を確かめる。古い家のつくりを調べる。昔話を読む。神楽を見る。
けれど、一つの場所で出会うと、その土地の文化が、互いに関わり合うものとして立ち上がってくる。
料理を味わいながら、その土地の言葉を聞く。話に耳を傾けたあとで、もう一度、器を手に取る。
一杯の印象に、人の声や場の空気が重なっていく。
発酵食品を伝える方法として、この「一緒に過ごす時間」には、大きな可能性がある。
昔の味を、いまの仕事として育てる
遠野のどぶろく文化には、現在の料理や醸造へとつなぐ実践もある。
「とおの屋 要」の料理人・醸造家、佐々木要太郎さんも、その一人だ。
公式プロフィールでは、家業を継ぐ傍らでどぶろくづくりを始め、10年以上の試行錯誤を重ねたと紹介されている。どぶろくを深める過程で、酢やチーズ、食肉の発酵・熟成などへ仕事を広げてきたという。とおの屋 要
受け継ぐことは、昔の味を知るところから始まる。
その先には、自分の感覚で確かめ、つくり直し、いま食べる人へ届ける仕事がある。
伝統という言葉からは、変わらず続いてきた姿を想像しやすい。しかし、実際につくる人は、毎回、材料と向き合い、仕上がりを判断している。
過去から受け取ったものに、現在のつくり手の経験が重なる。
その積み重ねによって、発酵文化は、今日の食卓にも置かれていく。
酒を知ることが、土地を訪ねる理由になる
どぶろくは、瓶に入れて持ち運ぶことができる。
遠野市観光情報サイトにも、どぶろくを扱う酒屋や物産施設が紹介されている。旅のあと、自宅で味わう接点もある。遠野時間|遠野市観光情報サイト
一方で、その土地を訪ねるからこそ出会えるものもある。
酒が生まれた場所の風景。つくり手の話。合わせて供される料理。そして、そこで暮らす人との会話。
例えば、遠野ふるさと村では、建物を巡るだけでなく、まぶりっととの会話や、もちつき、そば打ち、縄ないなどの体験を通じて、農村の暮らしに触れられる。いわての旅
一杯をきっかけに、関心が土地へ広がる。
酒の背景にある暮らしを知りたくなり、訪ねてみたくなる。旅先で聞いた話が、帰宅後に同じ酒を飲むときの記憶になる。
発酵文化は、商品を届けることと、人を迎えること、その両方につながっている。
文化を残すには、出会える場が要る
酒を醸す人がいる。
料理をつくる人がいる。古い家を手入れする人がいる。昔話を語り、神楽を受け継ぐ人がいる。
どべっこ祭りの構成を眺めると、一つの催しが、さまざまな担い手の仕事によって成り立っていることがわかる。
訪れる人にとっては、一晩の体験かもしれない。
しかし、迎える側には、その日へ向けた準備と、終わったあとの手入れがある。文化に出会う時間をつくるためにも、継続する仕事が必要なのだ。
味を覚えてもらうこと。
つくる人を知ってもらうこと。
また訪ねたいと思える場所を保つこと。
発酵文化の継承を考えるとき、器の中身とともに、その周りにある仕事へも目を向けたい。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
発酵には、待つ時間がある。
仕込んだあと、すぐには飲めない。人ができる仕事を重ねながら、変化を見守る。
出来上がった酒は、今度は、人が同じ場所で過ごす時間に加わる。
遠野のどべっこを調べながら惹かれたのは、そのつながりだった。
米から酒になるまでの時間と、一杯を囲んで話を聞く時間。そのあいだに、つくる人、迎える人、語る人がいる。
白く濁った一杯から、田んぼや曲り家、まだ会ったことのない人の顔を想像する。
発酵文化を知る旅は、そんなふうに、ひと口の先へ続いていく。
参考資料
※本記事は公開資料に基づいて構成しています。催しの開催内容や施設の利用条件は、各公式サイトをご確認ください。

