佐賀・有田焼から考える、四百年の技術を明日の食卓へ届ける方法
日本の職人と伝統|47都道府県・佐賀編
食べ終わった皿に、青い線が残っている。
料理に隠れていた花や葉が、少しずつ姿を現す。洗って水を切ると、白い面がまた光を返す。
食卓では脇役だった器が、片づけの時間に、ふと目を引く。
佐賀県の有田焼。
華やかな色絵も、藍色の染付も、装飾を抑えた白い器もある。その多様な表情の向こうには、石を原料へ変え、形をつくり、絵を描き、焼き上げる仕事がある。
一枚の皿を、誰か一人の手だけで語りきることは難しい。
有田焼をたどることは、器をつくる町の仕組みをたどることでもある。
福岡の八女提灯に続く佐賀編では、産地に重なる仕事と、その技術が現代の暮らしに届くまでを見つめたい。
1.白い器の始まりに、石と海を渡った技術がある
有田焼は、十七世紀初頭、朝鮮半島から渡った陶工たちの技術と、有田で見いだされた陶石を背景に生まれた磁器である。創業年は一般に1616年とされ、泉山での陶石発見が、その歴史の重要な出来事として伝えられている。ceramic.or.jp
白い皿の始まりに、白い土だけがあったわけではない。
材料となる石を見つけ、それを砕き、器をつくれる原料にする。成形し、釉薬を掛け、高温で焼く。
土地にあるものと、人が持つ知識が出会って、初めて磁器になる。
そして、この技術の移動には、豊臣秀吉の朝鮮出兵という歴史的背景がある。産地の始まりを語るときには、美しい器を生んだ交流とともに、人々が海を渡ることになった時代の事情にも目を向けたい。〖公式〗アリタポーセリンラボ|ARITA PORCELAIN LAB
有田の白には、土地の資源と、そこへ至る人の歴史が重なっている。
2.一枚の皿の向こうに、いくつもの専門職がいる
有田焼の制作は、伝統的に分業で行われてきた。
陶土を用意する仕事、型をつくる仕事、生地を成形する仕事、絵付け、施釉、焼成。そして、器を市場へ届ける商社。それぞれの専門性がつながり、製品になる。製品や事業者によって、工程の分担は異なる。arita.jp
完成した器の裏には、窯元やブランドの名前がある。
けれど、その名前の中には、表に出ていない仕事も含まれている。
形を正確につくるための型。絵付けを受け止める生地。焼き上がりを見越した寸法や厚み。
一つの工程で出した答えが、次の工程の条件になる。
この仕組みは、技術を深め、さまざまな器をつくる力になる。同時に、ある工程の仕事が途切れると、ほかの仕事にも影響が及ぶ可能性がある。
産地の継承とは、技術を持つ人を残すことと、その人へ仕事が届く関係を残すことの両方に関わっている。
3.型を使う仕事にも、手の判断がある
手仕事という言葉から、一人の職人がろくろを回す姿を思い浮かべることがある。
有田焼では、ろくろによる成形に加え、型を使う技法も受け継がれてきた。
例えば鋳込み成形では、液状の原料を石膏型へ流し込み、型が水分を吸う性質を利用して器の形をつくる。その後の仕上げや乾燥、焼成へと工程が続く。koransha.co.jp
同じ形を、繰り返しつくれること。
それは、家庭でも飲食店でも使われる器にとって、大切な価値だ。
皿を重ねられる。料理の量をそろえられる。割れたとき、同じシリーズを買い足せる。
もちろん、継続販売や買い足しへの対応は、製品ごとに確認する必要がある。それでも、器を一定の品質で届ける技術には、日々使う側を支える意味がある。
一品ごとの表情を楽しむ工芸と、繰り返し使う道具を整えて届ける工芸。そのどちらにも、職人の判断は働いている。
4.青い線は、焼く前の色から生まれる
有田焼の染付では、焼くと藍色に発色する「呉須」で下絵を描く。
輪郭を描く線描きと、その内側などへ色を含ませる「濃み」。絵付けの中にも異なる仕事があり、その上に釉薬を掛け、焼成へ進む。arita.jp
私たちが見ている青は、火を通った後の姿だ。
描く人は、目の前にある状態だけでなく、焼き上がりの色や表情まで考えている。
器づくりには、こうした「今はまだ見えない完成」を扱う仕事が多い。
原料から形になるとき。乾燥するとき。窯で焼かれるとき。
その変化を見越しながら、手を動かす。完成品の滑らかさの奥には、材料が変わる過程を理解した人たちの経験がある。
食器棚の中の一枚も、いくつもの判断を通って、そこへ届いている。
5.有田は、外の世界と出会いながら続いてきた
有田の磁器は、十七世紀半ばから海外へ輸出されるようになった。日本セラミックス協会の産地解説は、1650年を輸出開始の年として紹介している。ceramic.or.jp
異なる土地へ届けるということは、異なる使い手と出会うということでもある。
どんな器を求めるか。何を美しいと感じるか。どのように飾り、どのように使うか。
産地の技術は、その外にいる人との関係の中でも磨かれてきた。
その歴史を踏まえると、海外のデザイナーや使い手との協働は、有田にとって過去とつながる取り組みとしても読める。
2016年の創業四百年に合わせた「2016/」では、八か国十六組のデザイナーと、伊万里・有田焼産地の窯元・商社十六組が協働し、新しいブランドを開発した。pref.saga.lg.jp
重要なのは、海外で発表したという事実だけではない。
産地の技術を前に、外から来た人が何を発見し、つくり手が何を試したのか。その往復に、新しい製品が生まれる可能性がある。
6.模様を変える前に、使う場面を考える
伝統工芸を現代へ届けるとき、色や柄の変更に目が向きやすい。
しかし、食器が暮らしに合うかどうかは、表面の印象だけでは決まらない。
棚へ収まるか。手持ちの皿と重ねられるか。一人分の食事を盛りやすいか。持ち上げたときに、指が掛かるか。
料理が入る内側と、手に触れる外側。食卓に置いた姿と、収納した姿。その両方が使い勝手になる。
有田焼を扱うKIHARAも、型づくりから成形、焼成、絵付けに至る分業を、ものづくりの基盤として紹介している。有田焼・波佐見焼のKIHARA(キハラ)
この専門性の蓄積は、新しい用途を具体的な形へ落とし込む際の力になり得る。
ただし、薄ければよい、軽ければよいとは限らない。用途に必要な強さや扱いやすさとの兼ね合いがある。
今の暮らしに合う器をつくることは、生活の細かな条件を、形と材料へ翻訳する仕事でもある。
7.白い器にも、残したい技術がある
装飾を抑えた器が選ばれるとき、成形や焼成、表面の仕上げに光が当たる。
一方で、絵付けを施さない製品の販売が、そのまま絵付けの仕事を支えるとは限らない。
これは、白い器と色絵の器の優劣を決める話ではない。
同じ有田焼という名前の中でも、製品ごとに必要とする技術が異なるということだ。
だからこそ、産地の未来を考えるなら、売上の合計に加えて、どの仕事へ注文が届いているかを見たい。
繊細な絵付けを深める道。形や質感を追究する道。飲食店の使い勝手に応える道。
それぞれが選ばれる理由を持ち、適切な対価が次の制作へ回る。その幅が、産地に複数の仕事を残していく。
一つの流行だけで、四百年分の技術を受け止めることは難しい。
8.食卓にある町を、少しだけ知る
器を買うとき、すべての工程を学ぶ必要はない。
最初の理由は、形が好き、青がきれい、料理が似合いそう。それでよいのだと思う。
ただ、その一枚を少し気に入ったら、裏を返してみる。つくり手やブランドの名前を覚える。どんな技法なのかを、後から調べてみる。
すると、皿の向こうに、人の仕事が現れる。
型をつくった人がいる。生地を整えた人がいる。絵を描き、窯の中で仕上げた人がいる。
そのつながりを知ってから料理を盛ると、遠くの町が、食卓へ少し近づく。
伝統の価値は、古さを知るだけで深まるものではない。
今も、その技術で暮らす人がいる。その事実が、一枚の器と使い手の関係を変えていく。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
白い皿は、何も語っていないように見える。
けれど、たどっていくと、石があり、海を渡った人々の歴史があり、異なる工程を担う仕事がある。
その白は、何もない白ではない。
多くの判断が重なり、食べ物を受け止める面になった白だ。
有田焼の未来を考えることは、美しい製品を次へ渡すことと、その製品を再びつくれる町の関係を残すことなのだろう。
この白い皿は、町でできている。
今日、その上に盛る料理が、遠くの誰かの次の仕事へつながっている。そんな距離を感じながら、器を使ってみたい。
本記事は、公的機関・産地団体・事業者の公開資料に基づくデスクリサーチと編集考察で構成しています。現地訪問・職人への直接取材は行っていません。
参考資料

