私は、池袋生まれである。
予備校も池袋に通い、大学時代のアルバイトも池袋だった。埼玉の自宅から通いやすかったからだ。
当時、約35年前の池袋は、安い飲み屋と不良の多い街だった。駅前にはどこか雑然とした空気があり、サンシャイン通りの周辺にも、いまのような明るく整った都市の顔とは違う、少し危うく、少し猥雑な匂いがあった。
サンシャインシティは、かつて巣鴨プリズン、東京拘置所があった場所の跡地に建てられた。都市の記憶として見れば、池袋は最初から「明るい商業都市」として始まったわけではない。むしろ、重たい歴史の上に、消費と娯楽と若者文化が積み重なっていった街だった。
私の祖父は、その近辺でテキ屋を営んでいた。
だから私にとって池袋は、単なる繁華街ではない。家族の記憶があり、若い頃の時間があり、少し荒っぽい都市の手ざわりが残っている場所である。
35年前の池袋は、“きれいな東京”ではなかった
当時の池袋は、新宿ほど巨大ではなく、渋谷ほど流行の中心でもなく、銀座や表参道のように洗練された街でもなかった。
むしろ池袋は、どこか「東京の外側にいる人たち」を受け止める街だった。
埼玉から来る若者。予備校に通う浪人生。安い飲み屋を探す学生。アルバイト帰りのフリーター。演劇、漫画、音楽、アニメ、ゲームに惹かれる人たち。そして、東京の中心にまっすぐ入るには少し気後れする人たち。
池袋は、そういう人たちを拒まなかった。
銀座のように身なりを問うわけでもなく、表参道のようにセンスを試すわけでもない。渋谷のように若さを要求するわけでも、新宿のように巨大な匿名性の中へ放り込むわけでもない。
池袋には、少しだらしなくてもいられる余白があった。
それは、きれいな都市計画の言葉では表現しにくい。しかし、都市にとって非常に重要な機能である。街は、整いすぎると人を選ぶ。けれど、少し雑然としている街は、人を許す。

いまの池袋にある、表参道のような空気
ところが最近、池袋を訪れると、その印象が明らかに変わっている。
美味しい飲食店が増えた。カフェも増えた。サンシャイン通り付近には、かつての荒っぽさとは違う、明るく、清潔で、少し表参道的ですらある空気が漂っている。
店員は若く、おしゃれだ。飲食店の内装にも感度がある。ベビーカーを押す若い家族連れも自然に歩いている。
35年前の池袋では、あまり見なかった光景である。
かつては「埼玉県民のたまり場」と揶揄されることも多かった池袋。もちろん、今でもそのイメージは残っている。東武東上線、西武池袋線、埼京線、有楽町線、副都心線など、埼玉方面から池袋へ流れ込む交通導線を考えれば、それは単なる偏見ではなく、都市構造としても自然なことだ。
しかし、その“埼玉から近い東京”という性格こそが、池袋の強みでもある。
池袋は、東京の中心でありながら、東京に染まりきっていない。都心でありながら、郊外の生活感を失っていない。ここに、池袋という街の独自性がある。

池袋は、なぜ変わったのか
池袋の変化には、いくつかの背景がある。
ひとつは、豊島区による都市政策である。
豊島区は、池袋を「国際アート・カルチャー都市」として位置づけ、文化、劇場、アニメ、マンガ、公園、ウォーカブルな都市空間を組み合わせたまちづくりを進めてきた。Hareza池袋の整備や、グリーン大通りを中心とした歩きたくなるまちづくりは、その象徴である。
かつての池袋は、「駅を降りて、目的地へ急ぐ街」だった。
しかし現在の池袋は、「駅から少し歩いてみる街」へ変わろうとしている。
これは大きい。
都市の価値は、駅前の商業集積だけで決まるわけではない。人が滞在するか。回遊するか。偶然に出会うか。予定していなかった店に入るか。子ども連れや若いカップルが安心して歩けるか。
つまり、池袋は“通過する街”から“滞在する街”へと、少しずつ編集されてきたのである。

マーケティング視点で見る池袋の強さ
マーケティング視点で見ると、池袋は非常に面白い街である。
銀座や表参道は、ブランドイメージが強い。高所得者層、観光客、ファッション感度の高い層を狙うには非常に強い。しかし、その分、出店コストも高く、街の文脈も明確である。
つまり、銀座や表参道は「完成されたブランドを見せる場所」に近い。
一方で、池袋は少し違う。
池袋には、学生がいる。会社員がいる。ファミリーがいる。埼玉から来る生活者がいる。アニメやマンガを目的に来る若者がいる。百貨店に行く年配層もいる。安い飲み屋を探す人もいれば、少し気の利いたレストランを求める人もいる。
つまり、池袋は年齢層も所得層も目的も、かなり幅広い。
これは、マーケットとして見ると非常に価値がある。
なぜなら、池袋では「尖ったブランド」だけでなく、「少し背伸びした日常」や「手の届く新しさ」が試せるからだ。
表参道で成功する店は、最初から世界観が完成されていなければならない。銀座で勝負する店は、価格帯や接客、内装にも一定以上の格が求められる。
しかし池袋なら、もう少し実験できる。
若い人が飲食店を始める。小さなブランドがテストマーケティングをする。新しいメニューを試す。サブカルチャーと飲食を組み合わせる。家族層と若者層の両方に向けて、価格と世界観のバランスを探る。
池袋は、そうした挑戦に向いている街ではないか。

“安さ”と“感度”が共存する街
池袋の面白さは、安さだけではない。
かつての池袋は、「安い」「雑多」「少し危ない」というイメージが強かった。しかし現在は、そこに「感度」が加わっている。
安いだけでは、人は戻ってこない。便利なだけでも、街は愛されない。
いまの池袋には、生活者が使いやすい価格帯と、若い世代が反応するデザイン性が同居し始めている。
これは、都市のマーケティングにおいて重要な変化である。
高級すぎる街は、日常から遠くなる。安すぎる街は、ブランド価値をつくりにくい。けれど池袋は、その中間にある。
少しおしゃれだが、気取らなくていい。新しい店があるが、入りにくくはない。都心にいる感覚はあるが、生活感も残っている。
この“ちょうどよさ”こそ、池袋の現在地なのではないか。
池袋は、境界都市である
池袋は、東京と埼玉の境界にある。
もちろん行政区分としては東京都豊島区である。しかし、心理的には少し違う。
池袋は、埼玉県民にとっての東京の入口であり、東京の人にとっては少し外側にある繁華街であり、若者にとってはサブカルチャーの拠点であり、ファミリーにとっては買い物と外食の街であり、事業者にとっては実験しやすい市場である。
ひとつの顔に固定されない。
そこが池袋の弱さであり、強さでもある。
銀座は銀座である。表参道は表参道である。渋谷は渋谷である。新宿は新宿である。
しかし池袋は、いつも少し説明しにくい。
だからこそ、変われる。
街のブランドが強すぎると、そこから外れたものは入りにくい。けれど、池袋のブランドはどこか曖昧で、柔らかい。その曖昧さが、新しい飲食店、新しいカルチャー、新しい生活者を受け入れる余白になっている。
祖父のテキ屋から、若い飲食店主へ
私の祖父が池袋近辺でテキ屋を営んでいた時代、街の商売はもっと露店的で、身体的で、人間くさかったはずだ。
人の流れを読み、場所を読み、天気を読み、客の顔を見て、声をかける。そこには、マーケティングという言葉はなかったかもしれない。しかし、やっていたことはまさにマーケティングだった。
どこに人が集まるのか。
誰が何にお金を払うのか。
どんな空気なら、財布の紐がゆるむのか。
都市の商売は、いつも現場から始まる。
いま池袋で若い人たちが飲食店を始めているとすれば、それは形を変えた“都市の露店感覚”なのかもしれない。
大きな資本で完成されたブランドを持ち込むのではなく、まずは街に出してみる。人の反応を見る。改善する。広げる。撤退する。再挑戦する。
池袋は、そういう試行錯誤を許す街であり続けている。

池袋の未来は、“洗練されすぎないこと”にある
池袋は、これからさらに変わっていくだろう。
再開発が進み、歩きやすくなり、文化施設が整い、飲食店も洗練されていく。安全で、清潔で、ファミリーにも若者にも使いやすい街になっていくことは、都市として自然な進化である。
しかし、池袋が本当に池袋らしくあるためには、洗練されすぎないことも重要だと思う。
少し雑多であること。
いろんな所得層がいること。
若者が失敗できること。
埼玉から来た人が、気後れせずに歩けること。
高級店だけでなく、安い飲み屋も残っていること。
アニメも、演劇も、家族連れも、会社員も、不良の記憶も、祖父のテキ屋の記憶も、同じ地層の上にあること。
それが池袋の価値である。
池袋は、きれいな東京にならなくていい。
むしろ、東京になりきれないからこそ、人を受け入れてきた。
35年前の池袋を知る者として、いまの池袋の変化には驚きがある。けれど同時に、どこか納得もしている。
この街は昔から、変なもの、新しいもの、少しはみ出したものを受け止めてきた。
だから池袋は、これからも変わる。
ただし、完全に洗練されるのではなく、雑多さを抱えたまま、少しだけ美しくなっていく。
その不完全さこそが、池袋という都市のマーケティング資産なのだ。
池袋は、東京の中心ではない。
けれど、東京に入っていく人々の入口であり続ける。
そして入口の街には、いつも新しい商売と、新しい文化と、新しい人生が生まれる。

