自然は、消費されるものなのか。それとも、未来を構造化する資本なのか。 タンザニアという国の選択から、その問いを見つめ直す。
地平線まで続くサバンナ。象の群れ。夕暮れの赤い空。 タンザニアという国は、多くの人にとって「壮大な自然」のイメージで記憶されている。
しかし、その風景を“美しい景色”として消費してしまうと、この国の本質は見えなくなる。
タンザニアは、自然を守っている国ではない。
正確に言えば、自然を設計している国である。
■ 自然は国家資本である
タンザニアには、観光省とは別に「天然資源・観光省」が存在する。 それは、野生動物や森林、国立公園が単なる観光資源ではなく、 国家の経済インフラとして明確に位置づけられていることを意味する。
たとえば、セレンゲティ国立公園。あるいは、ンゴロンゴロ自然保全地域。 これらは「誰でも安く訪れられる観光地」ではない。
入域料は高く、制限も厳しい。量を追わない。価値を下げない。
自然を守るために儲けないのではなく、 安売りしないことで守るという選択。 そこには感情ではなく、設計思想がある。

■ サファリはロマンではなく経済構造だ
サファリ体験の背後には、レンジャー、ガイド、保全活動、ロッジ経営、交通網が存在する。 観光収益は、密猟対策や自然保護に再投資される。
つまり、自然が自然を守る構造が組み込まれている。
これは理想論ではない。極めて現実的な資本設計である。 世界の多くの観光地が「人を増やすこと」を成長と呼ぶ中、 タンザニアは「価値を維持すること」を成長と捉えている。

■ 文化は“保存”ではなく“更新”される
タンザニアを象徴する存在として知られるマサイ族。 鮮やかな衣装、跳躍のダンス。
しかし彼らの文化は、単なる伝統の保存ではない。 観光、教育、現金経済と折り合いをつけながら、形を変えている。
文化を凍結保存することは、必ずしも文化を守ることではない。 生き残る文化とは、更新される文化だ。

■ インフラは順番通りでなくていい
電力が安定しない地域でも、モバイルマネーは普及している。 銀行網を飛ばし、デジタル金融が先に広がった。
発展とは、一直線の階段ではない。 未完成であることが、新しい仕組みを受け入れる余白を生む。
タンザニアは「遅れている国」ではない。 むしろ、別の順序で進化している国だ。

■ 象徴は、共有される物語である
キリマンジャロは、国家の象徴として広く共有されている。 多くの国民が登ったことはない。 それでも、この山は誇りの対象であり続ける。
象徴とは、体験の共有ではなく、物語の共有である。 国家とは、制度だけでなく、物語によっても設計される。

■ 結語
タンザニアは、自然が豊かな国ではない。 自然をどう扱うかを、明確に選んでいる国だ。
観光は制御され、文化は更新され、 インフラは順番を飛び越え、象徴は物語として共有される。
問いは、私たちの側にある。
自然は、消費されるものなのか。
それとも、未来を構造化する資本なのか。
タンザニアは、その問いをすでに実践に移している。


