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国家が弱くても、社会は壊れない

早朝のイタリアの広場と歴史的建築物の風景。国家が弱くても社会は関係性によって支えられているというテーマを象徴するイメージ。
早朝のイタリアの広場と歴史的建築物の風景。
Contents

イタリアに学ぶ「関係性」の社会設計

イタリアの街を歩いていると、
不思議な感覚に包まれる。

時間が、ゆっくりと流れている。
けれど、決して止まっているわけではない。

朝はバールに人が集い、
エスプレッソを片手に、他愛のない会話が交わされる。
昼には、仕事の途中でも家族と食卓を囲むために職場を離れ、
夕方になると、人々は自然と広場へと引き寄せられていく。

効率的とは言えない。
少なくとも、現代的な基準では。

それでも、この社会は確かに「呼吸」している。
では、なぜイタリア社会は崩れないのだろうか。


夕暮れのイタリアの広場で、家族や人々が集い、会話や食事を楽しむ風景。

データだけを見れば、「強い国」には見えない

行政手続きは遅く、
若者の失業率は高い。
国家財政も、決して安定しているとは言えない。

数字だけを並べれば、
イタリアは「強い国家」には見えない。

それでも、社会は壊れていない。
その理由は、国家の強さではなく、
社会の設計思想にある。


家族という、最小の福祉システム

イタリアでは、
家族が事実上の福祉システムとして機能している。

仕事を失えば、実家に戻る。
親世代が所有する家に、子ども世代が住み続ける。
経済的なリスクは、まず家族の内側で吸収される。

日本では、こうした在り方は
「自立できていない」と捉えられがちだ。

しかしイタリアでは逆である。
家族に属していることは、
社会に属していることを意味する。

彼らが最も恐れるのは、
貧困よりも、失業よりも、孤立なのだ。

国家が動く前に、人が人を支える。
この順序が、社会の安定を支えている。

イタリアの家庭で、複数世代の家族が同じ食卓を囲み、会話を交わしながら昼食を共にする様子。

国家が弱いのは、失敗ではない

では、なぜ国家は強くならなかったのか。

それは失敗ではなく、
歴史的な選択である。

イタリアは、もともと完全に中央集権化された国家ではない。
都市国家の集合体として成立し、
国家よりも先に、地域と家族が存在していた。

だからこそ、
すべてを国家に委ねるという発想が根づかなかった。

「国家に守られる社会」ではなく、
「国家を薄く使う社会」。

制度は薄く、
人間関係は濃い。
それが、イタリアという社会の基本構造だ。


歴史的な建物が重なり合うイタリアの都市の街路。

食は娯楽ではなく、インフラである

この関係性の構造を、
最も強く感じさせるのが「食」だ。

イタリアでは、
食は娯楽ではない。
社会インフラである。

食卓は、人が集い、
関係を修復し、
世代をつなぐ場所だ。

大切なのは、何を食べるかではない。
誰と食べ、
どれだけの時間を共有するか。

だから、食事には時間がかかる。
早く食べる文化は、
関係を早く断ち切る文化でもある。

イタリアは、
あえて時間を使い続けることを選んできた。


イタリアの食卓で、人々が料理を分け合いながらゆっくりと食事を囲む様子。

日本への問い

日本は、制度も国家も強い国だ。
しかし、その一方で孤独は増え続けている。

効率化は、人を自由にした。
同時に、関係性を細くもした。

もし日本が、
ほんの少しだけ「遅くなる」ことを選べたとしたら。
私たちは、何を取り戻すことができるだろうか。

効率を下げることは、後退ではない。
それは、選択肢を広げるということだ。

何を速め、
何をあえて遅くするのか。

それこそが、
次の社会を設計するということなのかもしれない。


国家が弱くても、社会は壊れない

イタリアは、
国家が弱くても、社会は壊れないことを
静かに、しかし確かに示してくれる。

答えを押しつけるのではなく、
問いを残す社会。

NEOTERRAINは、
これからも、そうした「問いのある現場」から、
次のフィールドを見つめていく。

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