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なぜカレーは、手で食べると味が変わるのか─スリランカで出会った「人によって異なる味」

手で米とカレーを混ぜる様子を抽象的に描き、「同じカレーでも、味は人で変わる。」というコピーが重ねられた思想型ジャーナリズムのアイキャッチ画像
手で米とカレーを混ぜるイメージ

タイ、インド、スリランカ。 同じ「カレー」と呼ばれる料理でも、味も、香りも、食べ方もまったく違う。 そして、どの国のカレーも、等しくおいしい。

日本のカレーも、もちろん例外ではない。 だが、スリランカで聞いたある話が、私の中で長く残り続けている。


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① フィールドノート|「同じカレーなのに、味が違う」

スリランカで、知人の友人に会った。 彼女は日本人で、スリランカ人の男性と結婚していた。

彼女が何気なく語った言葉が、強く印象に残っている。

「同じカレーなのに、義母が手で混ぜて食べる味と、夫が同じように手で混ぜて食べる味が、違うんです」

驚いたのは、調理方法の違いではない。 食べる“人”によって、味が変わるという感覚だった。

インドやスリランカでは、今も多くの人が手でカレーを食べる。 なぜ、彼らは手で食べるのか。 そして、なぜ味が変わるのか。


② トリビア|手で食べると、なぜ味が変わるのか

実は「手で食べる」行為には、いくつもの理由がある。

  • 温度を感じる:指先で熱を感じ、最適なタイミングで口に運べる
  • 混ざり方が変わる:スプーンよりも細やかに、米とカレーを調整できる
  • 触覚が味覚を補完する:人間の感覚は、舌だけで完結していない

つまり、手は単なる「道具」ではない。 味覚の一部なのだ。

義母と夫で味が違う、という話は、 混ぜ方、力加減、リズム、無意識の癖── すべてが異なることを意味している。

カレーは、「作る料理」であると同時に、 食べる瞬間に完成する料理なのだ。


③ 文化|なぜスプーンではなく、手なのか

インドやスリランカにおいて、 手で食べることは「原始的」でも「貧しい」わけでもない。

それは、食と身体が切り離されていない文化だ。

右手で食べ、左手は使わない。 手を洗い、指先で混ぜ、口へ運ぶ。 そこには、明確な作法と美意識がある。

食事とは、栄養摂取ではなく、 身体と世界をつなぐ行為なのだ。


④ 歴史|日本のカレーが「スプーン」になった理由

一方、日本のカレーは、まったく異なる進化を遂げた。

日本にカレーが広まったのは、明治期。 英国海軍経由で伝わり、やがて学校給食、家庭料理へと定着していく。

・均質な味
・誰でも同じように食べられる
・清潔で効率的

日本のカレーは、 国家と制度が設計した料理だった。

だから、スプーンが選ばれた。 個人差を排し、標準化された食べ方として。


⑤ 経済|「個の味」と「標準化」の分岐点

スリランカやインドのカレーは、 家庭ごと、個人ごとに味が違う。

一方、日本のカレーは、 ルウ、レトルト、チェーン展開によって 再現性と拡張性を獲得した。

これは、文化の優劣ではない。 社会構造の違いだ。

・個を尊重する社会
・集団を最適化する社会

カレーは、その分岐点を静かに示している。


⑥ 社説|食べ方は、価値観そのものだ

なぜ、手で食べると味が変わるのか。

それは、味が人に委ねられているからだ。

誰が食べるか。 どう混ぜるか。 どの順番で口に運ぶか。

カレーは、人を映す。

ラーメンが都市と競争の料理なら、 カレーは、身体と社会の距離を測る料理だ。

食は、社会を映す。 そして、食べ方は、私たち自身の価値観を語っている。

NEOTERRAIN Journal 編集長 三宅雅之

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