トップダウンか、ボトムアップか。
DXや社会変革の議論は、いつもこの二項対立に回収されがちだ。
Vol.1では、空き家DXという具体的な事例を通して、
制度と現場が交差する「交差点」を見つめた。
Vol.2では、その交差点の先にある、
トップダウンとボトムアップの「あいだ」という構造を考えた。
では、その「あいだ」は、誰が引き受けているのだろうか。
設計されない「間(あいだ)」は、必ず誰かの負担になる
制度があり、現場がある。
しかし、その接続が設計されていないとき、
その隙間は自然には埋まらない。
代わりに起きるのは、
「誰かが、なんとなく引き受ける」という現象だ。
行政の担当者が、制度の説明役以上の役割を背負う。
現場のプレイヤーが、本来の活動とは別に調整役を担う。
あるいは、熱量のある個人が、無償で橋渡しを続ける。
そこに名前はない。
肩書きも、評価制度もない。
だが確かに、その人がいなければ、物事は動いていない。
「間」を担う人は、組織図には載らない
興味深いのは、
この「間」を引き受ける人の多くが、
組織図の中心にはいないという点だ。
決裁権者でもない。
現場の最前線でもない。
だが、両方の言葉が分かる。
制度の論理と、現場の現実。
その両方を理解し、翻訳し、
時に感情を吸収しながら、摩擦を減らしていく。
DXや官民連携が「人の問題」に見える瞬間があるとすれば、
それは、この役割が見えなくなっているからかもしれない。
「間」を担う人に、名前を与えられているか
DXがうまくいかない理由を、
スキル不足や意識改革に求める議論は多い。
だが本当に問うべきなのは、
「間を担う役割が、構造として用意されているか」ではないか。
その役割は、正式な職能として定義されているか。
評価され、継続可能な形になっているか。
属人的な善意に依存していないか。
もし答えがすべて「NO」なら、
そのDXは、たまたま回っているだけだ。
設計されるべきなのは、技術ではなく「引き受け手」
DXとは、ツールを導入することではない。
制度を整えることでもない。
本質的には、
「誰が、その間を引き受けるのか」を決めることだ。
そして、その役割を
個人の熱量や自己犠牲に委ねない構造をつくることだ。
トップダウンとボトムアップのあいだ。
そこに立つ人が、安心して立ち続けられる設計があるか。
DXの成否は、
その問いに、どこまで向き合えるかにかかっている。
NEOTERRAIN|意思決定構造を考える
Vol.0/Vol.1/Vol.2を通して見えてきたのは、
変革の正体は、いつも「構造」と「人」のあいだにあるという事実だ。
意思決定構造を考える Vol.0
トップダウンとボトムアップの、あいだを考える

