― 最小構成で最大幸福をつくる、日本の編集力 ―
世界には、派手な料理がいくつもある。
香辛料を重ね、火を操り、技術を競う。
だが日本には、まったく逆の方向から完成度を高めてきた食べものがある。
おにぎりだ。
米と塩、そして具。
構成要素は驚くほど少ない。
それなのに、なぜか心に残る。
なぜか、また食べたくなる。
おにぎりは「米を信じている料理」だと思う。
主役は常に米であり、具は脇役に徹する。
炊き加減、粒立ち、ほのかな甘み。
そのすべてが整って、はじめて成立する。
誤魔化しがきかない分、誠実だ。
そこには、日本的な引き算の美学がある。
塩は強すぎても弱すぎてもいけない。
具は多すぎれば米の邪魔になる。
中心に少し、ちょうどいい量。
「足さないこと」が、完成度を高めていく。
そして、おにぎりは手で握られる。
空気を含ませ、潰さず、崩れない程度に。
この曖昧で繊細な工程は、
最新の機械でも完全には再現できない。
人の感覚が、そのまま味になる。
だからこそ、この料理は強い。
家庭でも、コンビニでも、専門店でも成立する。
高級にも日常にも振り切れる。
文化としての耐久性がある。
その強さは、日本を離れても変わらない。
ハワイでおにぎりが愛されているのは、偶然ではない。
移民社会、現場労働、多国籍な食文化。
そのどれにも、おにぎりは衝突しなかった。
米は主食であり、
握って持ち運べ、
冷めても美味しい。
そこにSPAMの塩気や脂が加わり、
スパムむすびという新しい形が生まれた。
変わったのは具であって、思想ではない。
おにぎりは、ローカライズされながら壊れない。
受け入れ、混ざり、進化する。
それでいて、芯は残る。
考えてみれば、日本社会そのものに似ている。
強く主張しない。
前に出すぎない。
だが、必要な場所には必ずある。
人と人のあいだを、そっとつなぐ。
おにぎりは、
「最小構成で最大幸福をつくる」という
日本の編集力が、食べものの形をとった存在なのかもしれない。
派手さはない。
だが、世界のどこに行っても居場所がある。
それはきっと、
この料理が「正しさ」ではなく「安心」を提供してきたからだ。
今日もどこかで、誰かが、
無言でおにぎりを握っている。
それだけで、社会は少し、ちゃんと回っている気がする。
NEOTERRAIN Journal 編集長 三宅雅之

