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インドは、世界の首都だった ─ 記憶が再起動する旅

インドの混雑した街路を走るリキシャとバイク、夕暮れの光が差し込む都市の風景
インドの混雑した街路を走るリキシャとバイク(イメージ)

それは、というより、世界の心臓部に身を置く体験だったのだと思う。

30年前。バックパック一つで、ひとり。カルカッタ、バラナシ。

インド人、牛、人力車、車、バス。すべてが同じ平面に存在し、誰も完全には優先されず、それでも奇妙な秩序で流れていく。

土埃。汗と香辛料と排気ガスが混ざった匂い。湿度を含んだ、重たい空気。あれは「景色」ではなく、環境そのものが意思を持っていた

夕暮れ時のカルカッタの混雑した通りに、リキシャーと車が行き交う様子(イメージ)

電車に乗れば、歌を歌うホームレス。床を雑巾で拭く子ども。
仕事と施し、善意と取引の境界線は曖昧で、誰もそれを説明しようとしない。

そして、ガンジス川。

そこには、比喩ではなく、生と死の物理的な境界線があった。死体を焼き、その灰とともに、川へ流す。悲しみも、祈りも、日常も、すべてが同じ水面に溶けていく。

沐浴するインドの女性たち(イメージ)

ある人が言っていた。

「インドは、世界の首都だ」

あの言葉は、誇張ではなかったのかもしれない。

文明も、貧困も、信仰も、暴力も。未来も、過去も。
この惑星に存在するあらゆる要素が、濃縮されたまま、編集されずに存在している場所

沐浴するインドの女性たち(イメージ)

だから、インド人は、見ているだけで面白い。

というより、人間という存在そのものが、むき出しで立ち上がってくる

整えられた社会では、私たちは「役割」や「制度」を見ている。
だが、インドでは、ただ「生きている」という事実だけが、目の前にある。

あの旅で見たのは、異国ではなく、人類そのものだったのかもしれない。

インドの駅のホームでシャボン玉を追いかける子どもたち。(イメージ)

この記憶、
それは「インド紹介」ではなく、

世界は、こうして生き延びてきた

という、ひとつのフィールドノートになる気がしている。

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