アルゼンチンの象徴として語られる「ガウチョ」。
しかしその歴史には、近代化のプロセスが生み出した“排除”と“称賛”という、深い矛盾が刻まれている。
本稿では、この二重構造が示すものを、文化・経済・社会思想の観点から読み解く。

■ ガウチョとは何者だったのか
ガウチョは、アルゼンチンやウルグアイのパンパ地帯で活躍した遊牧的な騎馬労働者である。
国家や都市の制度に縛られず、移動と自律性を重んじる生活スタイルをもち、
当初は「無頼」「野蛮」とみなされ、近代国家にとって“統治しづらい存在”とされた。
しかし独立戦争期には戦士として活躍し、後には「自由」「反権威」「アルゼンチン魂」を体現する象徴として神話化されていく。
ここにすでに、排除と称賛という二重のベクトルが生まれていた。

■ 近代化の進行と「排除」のメカニズム
19世紀後半、アルゼンチンは急速な近代化に踏み出す。
鉄道が敷かれ、土地は囲い込まれ、牧畜は産業化し、労働は規律化されていった。
遊牧的で自由な生活は、国家の制度設計にそぐわないものとされ、次第に周縁へと追いやられる。
国家が求めたのは「管理できる労働」と「安定した生産体系」だった。
そのため、制度の外側に生きるガウチョの自在さは、近代化の論理の中で“異物”となる。

■ 一方で進む「称賛」と神話化
興味深いのは、現実のガウチョが抑圧されていく一方で、象徴としてのガウチョは国家的に称賛されていく点だ。
『マルティン・フィエロ』に代表されるガウチョ文学は、民衆の魂や反権力の精神を描き、国民的アイデンティティの核となった。
こうして、「生きたガウチョは排除され、想像上のガウチョは称賛される」という、近代国家特有の二重構造が生まれたのである。

■ 経済への示唆 ① 「制度化できない余白」が生む強さと脆さ
ガウチョが生きていたのは、国家や市場が完全には取り込めない“インフォーマルな空間”だった。
これは現代のフリーランス、ギグワーカー、インフォーマル経済にも通じる構造である。
制度の外側にある自由は、柔軟性を生む一方で、危機に対して脆弱でもある。
ガウチョの生活は、その二面性をよく示している。

■ 経済への示唆 ② 「周縁文化の再評価」が新たな価値を生む
かつて“野蛮”“遅れ”とされた文化が、現代では観光・食・地域アイデンティティの源泉となっている。
ガウチョ文化はその典型だ。
ポスト産業社会では、周縁文化やローカルな生活技法が、差別化資源として価値を持つ。
近代化の過程で“捨てられたもの”が、新しい産業の核になり得るのである。

■ 経済への示唆 ③ 「自由 × セーフティネット」の再設計
ガウチョの自由は、国家の保護と引き換えのものだった。
彼らは移動と自律性を得る代わりに、リスクを自ら引き受けた。
これは現代の課題と重なる。 自由を高めればリスクが増え、保護を強めれば自由が減る─この古典的ジレンマをどう越えるか。
答えの一つは、「セーフティネットに支えられた自由」
をどう設計するかにある。 ガウチョの歴史は、そのヒントを提示している。

■ 多元的な近代へ:ガウチョが照らす未来
ガウチョの矛盾は、単なる過去の物語ではない。 それは、私たちが「どんな近代を選び、どんな自由を望むのか」を問い直す鏡である。
工業化が示した単一の近代の論理を越えて、
多様な生のあり方が共存する“多元的な近代”を想像すること。
そのための視座を、ガウチョは提供してくれる。
排除されたものが、未来を照らすことがある。 パンパの風景は、それを静かに教えてくれる。

NEOTERRAIN─境界の外側から未来を見つめる。

