使われていない建物。
人のいない広場。
沈黙した巨大な空間。
それらを目にしたとき、私たちは無意識にこう考える。
「これは失敗ではないか」と。
特に日本では、空き家は問題として語られる。
維持費、安全性、景観、資産価値─
空白は、常に「負債」の言葉とともに扱われてきた。
しかし、カタールという国は、その前提を疑った。

砂漠に都市を建てた国が、空白を受け入れた理由
カタール、サウジアラビア、UAE。
これらの国々は、砂漠という何もない空間に、近代的な都市と巨大な建築群を立ち上げてきた。
経済発展。
国際的プレゼンス。
未来産業への投資。
その過程で、多くの建築が生まれ、
そして同時に、多くの「使われていない空間」も生まれた。
一見すると、そこには矛盾がある。
なぜこれほどの資本を投じて、空白を残すのか。
だが、カタールの都市計画は、
「永続的に使われ続けること」を前提としていない。

建築は、終わりまで設計されている
象徴的なのが、ワールドカップで使用されたスタジアム974だ。
コンテナで構成されたこのスタジアムは、最初から「解体・移設されること」を前提に設計されていた。
役目を終え、空になった瞬間。
それは失敗ではなく、設計通りの状態だった。
カタールにおいて、
「空になること」は計画の外ではない。
むしろそれは、
未来に意味を委ねる余白として扱われている。

空間は、固定資産ではなく「装置」である
日本では、家や建物は長く使うものだ。
価値は時間とともに積み重なると信じられている。
一方で、カタールは空間をこう捉える。
一時的に機能する装置として。
役割を終えた空間は、無価値になるのではない。
それは、次の意味を待つ状態に入るだけだ。
空白とは、停止ではない。
未決定という状態なのである。

教育都市が生み出したのは、知識ではなく関係性だった
この思想は、Education City(教育都市)にも表れている。
大学を建てただけではない。
国籍も文化も異なる学生たちが、同じ空間で学び、議論し、交差する。
かつて研究施設だった建物は、
スタートアップや共同プロジェクトの拠点へと再利用されている。
建物自体は変わらない。
変わったのは、そこに集まる人と、関係性だ。
カタールは、空間を「知識を生む場所」ではなく、
「関係が生まれる場」へと再定義した。

空白は、社会の鏡である
空いている空間は、
社会がまだ答えを出していない問いを映し出す。
空き家が増えることは、未来が失われた証拠なのか。
それとも、あえて決めていないという意思なのか。
カタールは、後者を選んだ。

誰が空間を定義するのか
国家が定義すれば、強すぎる力になる。
市民だけに委ねれば、持続しないかもしれない。
正解はない。
だから、実験が続けられている。
空白は、解決すべき問題ではない。
引き継がれるべき問いなのだ。

NEOTERRAINは、答えを出さない
NEOTERRAINは、この問いに結論を与えない。
ただ、世界のさまざまな場所に現れる「空白」を追い、
そこに宿る思想と選択を記録し続ける。
空間は、使われなくなった瞬間に終わるのではない。
使われなくなったときから、
社会の本当の思考が始まる。
問いは残る。
空白は、誰のものなのか。

