光を足すのではない。
余計なものを削ぎ落とし、場を整える。
日本の提灯職人が守り続けてきたのは、静けさをつくる高度な技術だった。
はじめに
日本の光は、なぜこんなにも静かなのだろう。
海外の街を歩くと、光は主張する。
ネオンは競い合い、看板は声を張り上げる。
一方、日本の祭りや路地にある光は、
そこに在るのに、前に出ない。
その正体が、提灯だ。
第一章|提灯は、照明ではない
提灯は、暗闇を消すための道具ではない。
竹を細く割り、骨を組み、和紙を一枚ずつ貼っていく。
工程だけ見れば、驚くほど地味だ。
だが職人が見ているのは、完成品ではない。
- 人が集まったときの密度
- 影が揺れる速度
- 風が通った瞬間のにじみ
提灯は「光を足す」ものではなく、
光を削ることで、場を成立させる装置なのだ。
第二章|なぜ、日本の技は主張しないのか
日本の職人技には、不思議な共通点がある。
- うまさを語らない
- 完成形を誇らない
- 「ちょうどいい」で止める
提灯職人も同じだ。
明るすぎれば、場を壊す。
暗すぎれば、人が離れる。
正解は数値化できない。
だから職人は、場の空気そのものを読む。
それは個人の才能ではない。
日本社会が長い時間をかけて育ててきた、
共同体を優先する思想そのものだ。
第三章|光の裏側にある、日本の社会構造
提灯は、一人のためにつくられない。
祭り、商店街、神社、路地。
必ず「複数の人」が関わる場所に置かれる。
日本の職人は、
自分の作品で世界を変えようとはしない。
代わりに、
人と人の関係がうまく回るよう、そっと調整する。
だから提灯は、写真にすると地味だ。
だが、体験すると忘れられない。
終章|職人とは、社会のノイズキャンセラーである
効率化すれば、光はもっと明るくできる。
量産すれば、もっと均一にもできる。
それでも提灯職人は、手を止めない。
なぜなら彼らの仕事は、
社会のノイズを消すことだからだ。
声が大きいもの、
強すぎる光、
派手な正解。
それらを一度、和らげる。
日本の提灯は、
静けさをつくる高度な技術である。
シリーズ|手は、文明を覚えている。
Vol.2:イタリア編「靴職人─身体は、思想よりも正直だ」へ続く
NEOTERAINJournal 編集長 三宅雅之

