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Vol.4|ボクシングは、希望である。

薄暗いジムのリングに立つボクサーのシルエット。窓から差し込む光の中に「ボクシングは、希望である。」という文字が重なる。
薄暗いジムのリングに立つボクサーのシルエット。

リングは、小さい。
ロープで囲われた、たった数メートル四方の空間だ。

だがその中で起きていることは、単なる勝敗ではない。
それは、
「どこから来た人間が、どこへ行こうとするのか」という物語である。


Contents

ボクシングは、階段のない社会に階段をつくる

多くの世界王者は、裕福な家庭出身ではない。

スラム、移民街、貧困地区。
教育や資本に恵まれなかった若者たちが、拳ひとつで階段をつくってきた。

なぜか。

ボクシングは、「初期資本がいらない競技」だからだ。

必要なのは、ジムと、時間と、意志。
資本がなくても、市場に参加できる。

これは、極めて珍しい社会装置だ。

リングロープ越しに、スポットライトに照らされたボクサーの背中を外側から捉えたシネマティックなシーン。

機能する身体は、尊厳を取り戻す

ボクシングは、体を削る。
だが同時に、体を鍛え直す。

トレーニングを積み重ね、
汗を流し、
倒れて、立ち上がる。

その反復が、「自分は変われる」という感覚を生む。

それは、希望の原型だ。

経済は人を測る。
学歴は人を分ける。
環境は人を縛る。

だが、リングの上では違う。

立っているか。
打てるか。
耐えられるか。

それだけだ。


暗いリングの中、スポットライトに照らされた若いボクサーの上半身。

世界が熱狂する理由

なぜ世界はボクシングに熱狂するのか。

それは、「不利な人間が、逆転する可能性」を
最も純粋な形で見せるからだ。

判定はある。
階級もある。
ルールもある。

だが最終的に問われるのは、意志と準備だ。

だからこそ、観客は自分を重ねる。

「もし自分が、あの立場なら」

それは他人の試合ではない。
自分の人生の縮図だ。

暗い通路の先、光に照らされた階段の前に立つ若いボクサーの後ろ姿。

ボクシングは、暴力ではない

暴力は、破壊だ。
ボクシングは、統制だ。

暴力は、衝動だ。
ボクシングは、制御だ。

暴力は、無秩序だ。
ボクシングは、ルールだ。

そしてそのルールは、人を守るためにある。

だからこそ、ボクシングは文明のスポーツだ。

暗い会場の客席から、リング上のボクサーを見つめる観客の視点。

ボクシングは、経済である

Vol.3で書いた通り、ボクシングは巨大な市場でもある。

放映権、スポンサー、興行、国家ブランド。

だがその市場の中心にいるのは、ひとりの人間だ。

汗を流す、名前も知られていない若者だ。

経済は、物語に乗る。
物語がなければ、市場は動かない。

薄暗いジムの中で、窓から差し込む光に照らされながら一人座る若いボクサー。

ボクシングは、希望である

最後に残るのは、金でも、ベルトでもない。

「変われる」という証明だ。

3分間。思考は止まらない。
12ラウンド。人生は止まらない。

ロープの内側で生まれた希望は、やがてロープの外へ広がる。

家庭へ。
街へ。
国へ。

ボクシングは、単なるスポーツではない。

それは、社会が再起するための装置である。

ロープ越しに見るボクシングリング。

拳は、未来を殴らない。未来を切り拓く。
リングは小さい。だが、そこから世界は変わる。
希望は、ロープの内側から生まれる。

NEOTERRAIN Journal 編集長 三宅雅之

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