イタリアの靴職人は、思想を語らない。
ただ、一人の身体に向き合い続ける。
足元から読み解く、「個」を尊重する技術の思想。
はじめに
イタリアの街を歩いていると、足元を見てしまうことがある。
靴が美しいからではない。
その人の生き方が、靴に滲み出ているからだ。
擦れた革。
内側に倒れたかかと。
不自然に伸びた一部分。
イタリアの靴職人は、それをすべて見逃さない。
第一章|靴は、ファッションではない
イタリアにおいて、靴は装飾品ではない。
それは、身体の延長だ。
職人はまず、サイズを測らない。
足の形を「観察」する。
- どこに体重が乗るか
- どの角度で地面を蹴るか
- 長く立つ仕事か、歩く仕事か
同じ「27cm」の足は、二つとして存在しない。
だから靴職人は、完成形をつくらない。
時間とともに完成していく形を、最初から設計する。
第二章|革は、生きている
イタリアの靴づくりは、革との対話から始まる。
革は均一ではない。
伸びる場所、伸びない場所がある。
湿度や体温によっても、性格を変える。
職人は、素材を支配しようとしない。
「どう履かれるか」を想像しながら、
あらかじめ逃げ道をつくる。
それは妥協ではない。
変化を前提にする設計思想だ。
第三章|なぜ、イタリアは「個」を掘り続けたのか
イタリアの職人文化には、一貫した視点がある。
人間中心主義。
都市国家として分断され、
多様な価値観がぶつかり合ってきた歴史。
「正しさ」は一つではない。
だからこそ、
目の前の一人に最適化する技術が発達した。
日本の提灯が「場」を整える技術だとすれば、
イタリアの靴は、個人の身体を徹底的に尊重する技術だ。
第四章|履き潰されることで、完成する
イタリアの靴は、新品のときが一番美しいわけではない。
履かれ、
皺が入り、
癖が刻まれ、
ようやく「その人の靴」になる。
職人は、それを知っている。
だからこそ、完璧に仕上げすぎない。
余白を残す。
時間と身体が、最後の仕上げを担うからだ。
終章|個に向き合うことは、社会に向き合うこと
イタリアの靴職人は、社会を語らない。
政治も、効率も、大きな理想も語らない。
ただ、一人の足に向き合い続ける。
だが、その積み重ねが、
都市をつくり、文化をつくり、
イタリアという社会を形づくってきた。
身体は、嘘をつかない。
思想よりも、ずっと正直だ。
だからイタリアの職人は、
今日も足元を見つめている。
シリーズ|手は、文明を覚えている。
Vol.1 日本|提灯職人
Vol.2 イタリア|靴職人
Vol.3 中国|陶磁職人(近日公開)
NEOTERRAIN Journal 編集長 三宅雅之

