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ショート動画が流行っている、という誤解について─ 再生数の時代に、理解はどこへ行ったのか

再生数の増加と理解の深まりの違いを問いかける、NEOTERRAIN Editorialの象徴的ビジュアル
ショート動画の消費的なスピードと、時間をかけて理解するメディアの対比を象徴的に描いたイメージ

ショート動画は確かに再生される。しかし、再生数は「伝わった」証拠ではない。 認知と理解を混同する時代に、いま改めて問い直したい。

「ショート動画が流行っている」。 この言葉は、いまや疑う余地のない前提のように語られている。

確かに、短い動画は再生されやすい。 スクロールの合間に流れ、指を止めさせ、数字を伸ばす。 自治体のPR、企業の広告、採用動画に至るまで、 あらゆる施策が「まずはショートから」と設計される時代になった。

しかし、ここで一つ立ち止まって考えたい。 本当に流行っているのは、ショート動画そのものなのだろうか。

Contents

再生数は「伝わった」証拠ではない

再生数は、もっとも分かりやすい指標だ。 報告しやすく、説明しやすく、評価もしやすい。

だが、再生数が示しているのは、 「どれだけ触れたか」であって、「どれだけ理解されたか」ではない。

例えば、自治体のイベントPR動画や国体のショート動画、 季節感を伝える観光ムービーにおいて、 再生数は確かに意味を持つ。

空気をつくり、存在を知らせ、記憶の片隅に残す。 それは、TVCMに近い役割だ。

しかし、すべての動画が、 同じ役割を担うわけではない。

「理解」を目的とする動画は、別の評価軸を持つ

知事の定例会見、政策の背景説明、 企業の思想や価値観を語る動画。

こうしたコンテンツにおいて重要なのは、 「多くの人に一瞬で見られること」ではなく、 「関心を持つ人に、きちんと理解されること」だ。

にもかかわらず、 それらが再生数という単一のKPIで評価されてはいないだろうか。

もしそうだとしたら、 それは動画の失敗ではなく、 設計の失敗である。

ショートとロングは、競合ではない

ショート動画とロング動画は、 どちらが優れているかを競う関係ではない。

ショート動画は入口だ。 関心の有無をふるいにかけ、 「気になる」という感情を生む装置である。

ロング動画は滞在の場だ。 背景を知り、構造を理解し、 納得や信頼が生まれる時間を提供する。

本来、この二つは セットで設計されるべきものだ。

なぜショートだけが残るのか

多くの企業や自治体は、 実はこの構造を「頭では理解している」。

それでも現場では、 数字が早く出て、説明しやすく、 評価されやすいショート動画に偏っていく。

その結果、 「伝えたつもり」でも、 「理解されたかどうか」は 誰も測らなくなる。

再生数の先にあるもの

本当に価値があるのは、 動画を見たあとに、 その人の中で何が残ったかだ。

あとで検索したか。 もう一度見に来たか。 誰かに話したか。 考え方が少し変わったか。

こうした変化は、 ショート動画単体では生まれにくい。

編集とは、時間を設計すること

NEOTERRAINは、 再生数を集めるためのメディアではない。

問いを置き、 背景を編み、 世界を別の角度から見直すための 編集の場でありたいと考えている。

ショート動画も使う。 だが、それは入口としてだ。

その先に、 「時間を使ってもいい」と思えるコンテンツがなければ、 どれだけ再生されても、価値は積み上がらない。

流行の裏側で、私たちは何を置き去りにしているのか。 再生数の時代だからこそ、 理解されることの価値を、 いま一度問い直したい。

NEOTERRAIN Journal 編集長 三宅雅之

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